1997年4月から5月にかけて、カナダのマニトバ州南部を大洪水が襲った。
レッド川にアメリカ国境(州都ウィニペグ市近郊まで北へ110km)から流れ込んだ水は2000km2の土地を覆いつくした。
800の農場を飲み込み、世界有数の穀類の生産地である豊かな土壌を水浸しにして、州内にある14の連邦政府行政区のうち10に被害を与えた。
約25,000戸の住民が高台へと避難、そのうちの8,000戸は州都ウィニペグ市内である。
被害の大きさからこの洪水は「世紀の洪水」という称号を得た。
膨大な数の機材と軍隊が動員された。
カナダ空軍から8,500名の水兵と航空兵。
その兵力は、国連のPK活動に積極的に参加しているカナダ軍の、ボスニア、ハイチ、ゴラン高原派遣兵力の3倍だ。
事実上カナダ軍の活動として、朝鮮戦争以来最大のものである。
5月はじめ、レッド川が危険水位に達しウィニペグ市街地に接近したときに、600名の「ロイヤルカナダ騎馬砲兵隊」が市南西部で、狂ったように水位を上げて州都に襲い掛かろうとする水を防いだ。
「これは戦争だ!敵はゲートにいる!中に入れるな!」と、指揮にあたったギリス中佐は命令したという。
さらに無数の市民ボランティアが協力した。
洪水に至るまでの経過
レッド川周辺で4/4〜4/7に季節外れのブリザード発生。
それまで、国境をはさんで隣接するミネソタ州で起こっている記録的な洪水にもかかわらず多くの専門家が、「膨大な水量がレッド川に流入しても、放水路や防波堤があるマニトバには被害はない」と楽観視していた。
停滞を続けるブリザードと、積雪50cmの湿った、いつ解け出しても不思議でない雪が一気に緊急事態を作り出した。
「すべてが、考えられる最悪の事態へと進んでいった。」とウィニペグ大学の地理学者ウィリアム・レイニーはいう。
地理的背景
マニトバは常時「洪水危険地帯」である。
大きなものは1950、1966、1979、1996 年。小さなもの含めると毎年発生。
最大の理由はプレーリーの平坦な地形にある。
マニトバ州南部のプレーリー(草原)を流れる河川は、傾斜のある場所を谷に沿って流れる広々とした河川と違って、川幅が狭く堀のような流れである。
したがって、川の水位が高くなると水が溢れ出て“湖”を作る。
問題の根源は、一万年以上前の氷河期に溯る。
氷河が氷河期の終わりに解け出してプレーリー東部の大部分を覆うアガシス湖を作り出し、それによって肥沃な土壌を生み出した。
その一方で湖底には厚い粘土層が堆積し、今日この粘土層が川の浸食作用を妨げている。
河床はまるで、"コンクリートを削ろうとしている"かのようだと、ウィリアム・レイニー。マニトバ大学地理学者ラリー・ステインの説。
何千年もの間マニトバでは、膨大な量の氷河の自重で地殻は沈降し続けた。
気温の上昇等で氷河の量が減ると地殻が隆起を始める。
その結果、隆起した土地がレッドリバーを狭い場所に押し込めようとする。
そして、余分の水量を運搬する能力のない河川は氾濫する。
ダフの溝
近世のマニトバの最大の洪水は、19世紀に起きているが、1950年の洪水はウィニペグ市に甚大な被害をもたらした。
「Flood50」と呼ばれる大洪水だ。
これをきっかけとして 1962年に6,320万カナダドル(現在のレートで円に換算すると63億2千万円である)をかけて、レッド川の増水時に備えての放水路の建設が開始された。
7千7百万m3の土砂が掘削され、その量はセントローレンス運河の掘削量を凌ぐ。
1968年、全長47kmが完成。
当時の州首相ダフ・ロブリンの名前から「Duff's Ditch = ダフの溝」と呼ばれる。
これは、洪水からマニトバを"17回"守り、数十億カナダドルと推定される被害を防いだ。
ブランキルド・ダイク
ウィニペグ市の南西部からの水の進入を防ぐために作られたダイク(土手)。
ジグザグな形から「Z ダイク」と呼ばれる。
もともとは全長26kmだが、4月下旬に急遽24kmの延長工事が行われ、50kmになる。
50万m3の土砂の掘削と13万tの石灰石を敷き詰める工事が6日間で終了した。
「はやさと大きさで、おそらく世界一でしょう。」と、チーフエンジニア。
最高で230台、少ない時でも100台の建設機械やトラックが稼動し、300人の建設労働者、100人の兵士、150人のトラック運転手が24時間体制で作業を続けた。
事態が急を告げたのは4月24日(木)の早朝。
その時点で20台だった建設機械が、25日(金)の朝には100台になった。
工事はただひたすら、市道の上に1〜4mの土を積み上げて土地を洪水から守ることである。
頂上には、ダイクを破ろうと襲い掛かる波に対抗するために、廃車やスクールバスも置かれた。
掘削作業は通常は午前6時から午後9時まで行われたが、水位が上昇していった場所では27日(日)は深夜まで続けられた。
「どこで、いつ、どの道具を使うかを、ほとんど瞬間的に決める必要があった。それが一番大変なことでした。それと、みんな4月の半ばの季節外れのブリザードの後始末が終わったばかりで、ひどく疲れ果てていたんです。」
「ほんのささいな不手際があったくらいで、機械も効率よく回ったと思います。」と、現場で監督にあたった建設会社のチーフエンジニア。
費用の算出は終了していないが、800万〜1000万カナダドル+200万カナダドルの石灰石(合計約10〜12億円)であると思われる。
犠牲
ミネソタからの大波は、ロゾー川とモリス川を襲いダイクによって守られていないウィニペグ市南部から浸水を始めた。
市の中心部を毎秒75,000立方フィート(2,100m3)の水が移動し、市の東部には毎秒60,000立方フィート(1,680m3)の水が流入した。
レッド川の水位の上昇を固唾を飲んで見守っていた、放水路の出口にあたる市北部の住民。
そしてダイクによって守られていなかった市南部の、洪水の被害者たち。彼らは、犠牲にされたと感じている。
政府は、ダイクが最良の洪水対策ではなく、応急措置であるとしている。
しかし実際に、ダイクは役に立った。
ダイクの完成が将来の洪水対策に欠かせないことは、明白である。
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