History:
1884年 "バラード入り江・トンネル&橋会社"がカナダ政府からトンネルの建設許可を得る。
1900年ころ 橋の建設への要望が高まり、実現へ向けて具体的に動き始める。
1927年 バンクーバー市民の住民投票でスタンレーパークを横断する道路の建設が否決される。
1930年 横断道路についての議論が再浮上する。地元の実業家テイラーが英国政府に"バラード入り江への架橋がもたらす投資効果"を訴える。
1931年 テイラーは、英国ビール産業の名士、サー・アーサー・ギネスからの財政支援の確約を取り付ける。
同時にテイラーの"ファースト・ナロー・ブリッジ・カンパニー"は、現存するすべての「橋に関する特許」を購入した。
バンクーバー市とノースショーの各自治体から橋の建設許可、バンクーバー市公園&レクレーション管理局からスタンレーパークを横切る道路の建設許可、そしてバンクーバー市当局から通行料金徴収所設置の許可を得る。
連邦政府が橋の建設を認める方針を固める。
1933年 政治的論争が連邦政府との間に起こる。出入港する船の航行を妨げるとの理由で連邦政府が橋の建設,許可の最終決定を延期する。
1936年 粘り強い交渉と嘆願の末、最終的な建設許可が出される。
1937年 7月7日 工事開始
1938年 11月12日 5,616台の車輌が25セントの通行料を払って橋を渡る。
1939年 5月29日 英国王ジョージ6世とエリザベス女王が出席して公式の開通式が行われる。
橋の建設費用は約6百万カナダドル(当時)。
民営事業であるため、建設費用と維持管理費は通行料金で賄われなければならない。
すべての橋利用者(馬も含む)は通行料を支払った。
橋の北岸にはライオンと呼ばれる対になった山頂がそびえ、頂を雪が覆うことがあった。
ライオンはあたかも、眼下に広がる港の守り神であるかのように見えた。
橋の開通に先立って、バンクーバー在住の彫刻家、チャールズ・マレガがライオンのモニュメント制作の依頼を受け、大きな石の守り神は現在も橋の南の入り口の両側に立っている。
1955年 1月 BC州政府が5,959,060カナダドル(当時)で橋を買い取る。料金所は残される。
1963年 4月1日 料金所が廃止される。
|